大切な人の死別の悲しみを受け止め、乗り越えるまでの軌跡
心にスッポリ空いた大きな穴。
いつも近くにいて、ずっと一緒にいられると信じて疑わなかった大切なパートナー。

周りに心配かけたくなかったし、気を遣わせたくなかったから、平気なふりして時間をやり過ごした。
___あれから1週間。
今まで味わったことのない喪失感に、生きる意味を見出せなくなった。
私、これからどうやって生きていけばいいの?
何を支えに頑張ればいいの?
私も死んじゃおうかな・・・
そうしたらあの人の近くに行けるのかな・・・
そんな私を察してか、妹が私のそばから離れなかった。

「お姉ちゃん、泣いていいんだよ」
そう言われても、妹に心配をかけたくない想いから気丈に振る舞った。
決壊寸前のこの気持ちをこのままにしておけないと、ネットで検索するうちにメンタルコンサルティングという言葉が目に入った。

その中で死別を乗り越えられた江口さんというコンサルタントに話を聞いてもらうことにした。
江口さんは、すごく落ち着いた雰囲気で安心して心を許すことができた。
これがプロのメンタルコンサルタントなんだとホッとすると涙が溢れて止まらなくなった。
何も会話ができずにいると、画面の向こうから抱きしめてくれているような優しさを感じた。

江口さんは、もともとプロのトップダンサーとして世界で活躍している人だと聞いて驚いた。
そのダンスのパートナーを失った悲しみから立ち直るプロセスをゆっくり話してくれた。
江口さんも、当時は生きる意味を見失いかけていた。
まさに今の私と重なった。
この気持ちは、同じ境遇を味わったもの同士ではないと受け取れない感覚だと直感的に思った。
それから、江口さんからコンサルティングを受けることにした。
いま何を感じているのか?と最初に聞かれた時にはわからなかった気持ちもコンサルティングの中で明らかになっていった。
私、1人で生きていくことが怖かったんだ・・・
両親は、私が小学生の頃に離婚した。
友だちとも離れ離れになって、おばあちゃんの家に引き取られた。

部屋にこもって泣く妹を励ました。
これからは私が妹を守らなくちゃ!って頑張った。
お父さんは再婚して、新しいお母さんを紹介されたけど拒み続けた。
しばらくするとお父さんも家に顔を見せなくなり、お金もあまり入れてくれなくなったとおばあちゃんの愚痴を聞くようになった。
子どもが生まれて新居で生活するようになったと聞いて理由を察した。

高校生になると、バイトしたお金は全ておばあちゃんに預けて、最低限の生活を保った。
(私がしっかりしなくちゃ。)
高校を卒業して就職したのは、妹の学費を作るためだった。
妹が大学を卒業したことで、自分の肩の荷が降りたと感じた。
そして職場で出会った彼と結婚するはずだった。
彼は私がお父さんに求めていた、逞しさと優しさを兼ね備えた理想の相手だった。
彼にプロポーズされた時には、天にも昇る心地だった。

それなのに・・・。
江口さんとのコンサルティングで、自分ひとりで抱えてきた怖さや寂しさを拾うことができた。
私、ずっと我慢してたんですね。
苦しかったんですね。
寂しかったんですね。
そんなこともわかりませんでした。
回数を重ねていく中で、少しづつ冷静さを取り戻し、客観的に自分を見つめられるようになってきた。
そして半年ほど経った時に江口さんに伝えた。
「やっと誰かに甘えられると思った期待が絶望に変わったことが、私のショックをより大きいものにしていたように思います。
どこかで彼に寄り掛かりたかったし、寂しさを埋めて欲しかった。
彼のことを愛していたし、本当に大切な人だということは今も変わりませんが、
私自身が自立していかないといけないんだなって思うようになりました。」
気がつけば笑顔を取り戻すことができるようになっていた。

幼少期の頃の体験とのつながりから、気づきを導いてもらえたことや、
気づかないように蓋をしてきた思いを解放して癒していくことができたこと。
自分への労りや感謝に変えることができるようになったことや、
自分で望むように現実を作っていけることを教えてもらって、
どんどん気持ちが前に向けるようになってきた。
メンタルコンサルティングは、自分の中にある問題の根本原因をクリアしていくものだ
ときいて、パートナーとの死別が一体なんの問題と繋がっているのか?
最初は全くわからなかったけどもうじき1周忌。
私が幸せであることを、パートナーも心から望んでいますよ!


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